BUBKAに松原渓(南葛YJシューターズ)1
明日から4月なんで、若干ここをリニューアルしてみました。
プロフィールに最適な写真があったんで、それつけて、ブログペットも飼ってみましたw
ってなわけで、今後ともご贔屓にお願いします!
さぁ、先月まで2ヶ月連続で野田社長のインタビューを掲載してきたBUBKAですが、今月は南葛YJシューターズキャプテン、松原渓ちゃんのインタビューがありました。
早速、発売日の今日にBUBKAをゲットして読んでみたんですが、やっぱり最高のできでした!
あまりに素晴らしいんで、結局、今月も完全書き起こし決定ですw
だって、いきなりYJのユニフォームに、日本刀を構えた渓ちゃんの写真とともに
スフィアリーグのラストサムライ 松原渓 見参!
のキャッチコピーw
そして、太字で
「生きるか死ぬかの勝負がしたい」
なんて書かれちゃ、そりゃ燃えますよ、書き起こしますよw
っていうわけで、どうぞ!
BUBKA(以下B)「まずは今回の企画が実現した経緯から。」
松原渓(以下渓)「『BUBKA』は自分の連載もあるので、フットサルのページはいつも読んでたんですけど、ガッタスさんとカレッツアさんのお話が多いので、なんとかして座談会に入りたいと思ってて。
それで担当の方にお願いして(笑)」
B「光栄です!
でもタレントさんが観客の座談会に参加するのはマズいと思うので(笑)、今日はインタビューという形でひとつよろしくお願いします!」
渓「よろしくお願いします(笑)。」
お〜っ、自分の意思で、BUBKAで語りたかったんですねw
のっけからアツい、アツい!
B「まずですね、僕達が試合から感じる松原さんの印象なんですけども....」
渓「あ〜っ、緊張する!(笑)」
B「率直な印象はですね........”悲壮感と緊迫感”。」
渓「ハハハハ!よく言われてるみたいですね(笑)。」
いきなりズバッと直球来ましたね。
こんなストレートな感想を述べるスタンス、大好きです。
アイドルへのインタビューで使う単語じゃないもんw
B「試合中の表情や佇まいが、命が懸かった戦いをしてるように見えるんですよ。」
渓「性格が真面目っていうのもあると思うんですけど、負けず嫌いなのと、あとなんですかね........ホント勝たないと笑いたくないんですよね。」
B「以前、吉田豪ちゃんが松原さんにインタビューした時に、『生きるか死ぬかの試合がしたい』って剣豪みたいなコメントをされてて(笑)。」
渓「私、サッカーを7年間やっていて、一時期はプロになりたいと思っていたので、経験者としては死んでも負けたくないんです。
だからやっぱり『生きるか死ぬかの勝負』ですね。」
いやいや、サムライですよ!その心意気、見事!
B「スフィアの真剣度を見せるっていう部分で、その心構えは最高だと思うんですよね。
特に2ndステージのザナドゥー戦のPKの顔は凄かったですね。」
渓「あれはホント命懸けてました。今までの試合で2回外してるイメージが浮かんで。」
B「まず先に悪いイメージから入る方ですか?」
渓「一番悪いところを先に考えて、そこから足し算、みたいな。」
B「格闘家的な発想ですよね。
常に最悪の事態を想定してるっていうか。」
渓「あらゆる事態を想定してますね。
特にスポーツではそういうタイプだと思います。」
B「常に悪いことを想定してるっていうのは、実生活でも?」
渓「いや、実生活ではそんなにネガティブではないですよ。悪いことはすぐ忘れちゃうので。
ただ悪い結果にならないように常に色々な可能性を考えてるタイプです。」
B「『常在戦場』の心得!
間違いなく格闘家タイプですよ(笑)
ということで今日はそのサムライ・スピリッツがどうやって形成されてきたのかというところから探っていきたいと思います。」
渓「はい(笑)」
まさにサムライ、渓ちゃんの人格が形成された過程をこれから追っていくわけですが、たぶん、みなさんが想像してたことの何倍もの凄まじい環境で生きてますよ、この人。
では、続き、どうぞ!
B「まずは生い立ちから。生まれはどちらですか?」
渓「生まれは福岡県で、育ちは22年間ずっと東京です。
両親ともライターで、父が登山家で『山と渓谷』という雑誌の編集をしてて、母は小説を書いたりとか、そういうことをしていて。
5歳の時に両親が離婚して別居してたんですけど、毎週土日は父と生活をしてました。
だから土日は山を登ったり、サイクリングで北海道1周したり、男の子のように育てられて。」
サイクリングが、北海道1周って!すごすぎw
B「体育会的な部分はお父さんの影響なんですね。」
渓「完全にそうですね。母はどっちかっていうと教育ママで。」
B「インテリジェンスの方はお母さんから。」
渓「そう....かな(笑)
でも山の影響が一番大きいですね。
0歳の頃から登ってたらしいですから。
6歳の時には周囲の人から”幼児虐待だ!”とか言われつつも槍ヶ岳(標高3180m。北アルプスの象徴)に登らされてて。
マイナス20度の雪山なんですよ。」
B「えっ、そんな過酷なとこに幼児の頃に?」
渓「そうですよ、6歳ですよ!
何キロもあるリュックを背負って、1日中雪山を登ってました。」
B「それ、嫌じゃなかったんですか?」
渓「当時はそれが当たり前だと思ってて(笑)。
どうして他の子は山に登ってないんだろう?
みたいなそういう感覚なんですよ。」
B「土日はマイナス20度の山を登るもんだと思ってたわけですね(笑)。」
渓「小学校に入ってからは、友達も誘って、父と一緒に山登りに行ったりしてました。」
B「友達も巻き込んで(笑)」
渓「今思うと嫌だっただろうなって(笑)」
それで、小4の時、やっと山登りが普通じゃないことに気づいて、自主的にサッカーを始めました。
いや〜、スゴい過去だわ!!
でも、この経験があったから根性ついたんだろうなぁ。
そして、ついに小4にしてサッカーと出会うわけですね。
渓「ちょうどJリーグが始まった頃で流行ってたんですよ。
それで凄いやりたくなってアマゾネスFCっていう女子のチームに入りました。」
B「そこは名門なんですか?」
渓「ウチの1個上の代が強くて東京都で2位でした。
私は右MFだったんですけど、1個上がいなくなってドーンと弱くなって、そこからは色々大変でした。
キャプテンだったので。」
昔からキャプテンだったんですね。
1個上の話とはいえ、東京で2位のチームで基礎を固めることができたのは、いい経験しましたよね。
B「どんなキャプテンだったんですか?」
渓「その頃は凄い気が強くて、個人技ばかりやってたんです。
味方にパスを回さないで、自分で持ってく、みたいな凄い自己中なプレイをしてたんですけど、ある時これじゃいけないなと思って。
たぶん人間関係とかそういうことだと思うんですけど。」
B「どうも孤立してる、みたいな(笑)」
渓「で、パスを回すようになったらコーチに
『お前は持ち味がなくなったから、もう後ろに行け』
って言われて、
『そうか、私の持ち味だったんだな』
ってそのとき気づきました。」
今でも、その頃のなごりのようなプレイはたまに見受けますがw
それが彼女の持ち味なのは間違いないです!
B「チームではズバ抜けて巧かったんですか?」
渓「ズバ抜けてはいないですけど、一応小4からずっとレギュラーでした。
それで1個上の人がメニーナ(日テレベレーザの下部組織)に受かって入ったんですよ。
中学からは女子サッカーチームってなかなかないので、私も受けたくて。」
B「受けたんですか?」
渓「何度か受けたんですけど、結局落ちてしまって。
それで中学から4年間、25〜30歳ぐらいの社会人チームでやってました。」
そのメニーナでバリバリ活躍してたのが、TEAM dreamの宇津木めぐみさん。
やっぱり彼女は別格ですね。
しかし、渓ちゃんも中学生で社会人チームに所属してたんだ!
それも凄い!
..........というわけで、今日はここまで!
続きは明日以降です。
しかし、ここからも凄いですよ。
一応、予告を
- さらに激しさを増す、中学、高校時代。
なんと彼女のお小遣いは.........●●●円!?
- 渓ちゃんにとって、最大のライバルミスマガジンは.........
- これがどうしても聞きたかった!
先日の2ndステージ、ガッタス戦のPKで、渓ちゃんが蹴らなかった理由は..........
- 高橋陽一監督って実はどんな人..........
などなど、本当に素晴らしいインタビューは続きますw
そして、明日、4月1日は、スフィアリーグにとって、大きな1日になりそうですね。
FANTASISTAは奥谷侑加ちゃんが引退セレモニー&新キャプテン発表。
XANADU loves NHCは新メンバーの発表。
荒れそうですねぇ。
では、今日の1曲
- アーティスト: ジャンヌダルク,yasu,Hajime Okano
- 出版社/メーカー: エイベックス・トラックス
- 発売日: 2004/05/19
- メディア: CD
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Janne Da Arc / DOLLS